『徒然草』は中学校でも習う作品で、序文や猫またの話(第89段)などが二年生の教科書に載っている。また、高校では一年生の教科書に、再び序文といくつかの章段が載っている。だから、「そういえばそんなのあったね」と思う人が多い作品だろう。
塾業界にいた私にとって、『徒然草』は教科書、参考書、入試問題と、あらゆる場所で本当によく出遭う作品だった。もちろんそうした場合、全部で243段ある中の、一部の章段だけが抜き出された状態で読む。さらには、誰かが作った問題を解く作業付きで読む。
そんな関わり方をしていたときには、あまり好きな作品ではなかった。
しかし、塾業界を離れてから、『徒然草』全編を訳文で二度ほど読んだ。
全編を読んでみると、序文の
的な宣言に、非常に納得がいくようになる。本当に『徒然草』は、なんのまとまりもない作品だから。
また、二度読んでみて、
一度目と二度目とでは、自分が「おもしろい」と思うところが随分と違っている
ことに気がついた。
どこかで、「本を読むことは、自分自身を読むこと」などと聞いた気がする。だから、どんな本でも読み返したときに印象が変わることはある。
そこへ持ってきて、『徒然草』は、なんのまとまりもなく、雑多な事柄を書き記した書物だ。
だから、自分自身の関心の振れ幅が驚くほどに大きくなった、ということだろう。(もちろん、二度読んでも全く興味が持てない部分もある!)
そして、三度目の読み返しを始めてまず心に留まったのが、(これまではスルーされていた)今回の第13段だ。
[掘り出しもの]No. 3
まずは原文をさらっと
ひとり灯火のもとに文(ふみ)を広げて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなう(こよのう)慰むわざなれ。文(ふみ)は文選(もんぜん)のあはれなる巻々(まきまき)、白氏文集、老子(ろうし)のことば、南華の編、この国の博士どもの書ける物も、いにしへのは、あはれなる事多かり。
『徒然草』第13段
と、これだけの文章だから、特に訳す必要も無いぐらいのものだ。言わんとすることはわかる。
そのことのほうが大事だから、どうでもいいことではあるが、『文選(もんぜん)』やら何やらがよくわからない。せっかく調べたので、まず、その辺を一応書き留めておく。
ここで、かな文学は挙げない「をのこ」のプライド
『徒然草』の中では、作者の兼好(1283年?から1352年以降)が、『源氏物語』や『枕草子』(いずれも1000年ごろの成立)などの、いわゆる「かな文学」(→ 当時の日本語で書かれたもの)を読んでいるとわかる記述が見られる。
また、この段のすぐ次の第14段では、和歌について述べられており、『古今和歌集』(905年)や『新古今和歌集』(1205年)の名が挙がっている。兼好自身、勅撰和歌集に歌が入集する歌人でもある。
そうした状況や、『徒然草』の中で引用される書物、出来事の割合から考えても、ここで友とする「見ぬ世の人(→ 昔の人)」の著作が漢文とは限らない、そういう世界観を『徒然草』は持っている。
だがこの段で、兼好が心の友の作として書名を挙げているのは、いずれも漢文だ。
次で和歌のことを書くから、ここは漢文でまとめた、と取っておいてもよいところだ。
それでも、「おもしろいものは、古今東西問わず読み漁るけれども、やはり、当節を生きる男児の座右の書は、漢文だ!」というプライドが、何となく垣間見える気もする。
漢文(→ 当時の中国語で書かれたもの)は、今で言う英語のようなもの。英語ペラペ~ラだったらすごいよねっていうのと似た感じかなと。それでも現代の日本では、政府の公式記録が英語で書かれたりはしていないが、当時の公式記録は漢文で書かれていた。公的な仕事に、漢文の読み書きは必須だった。{alertSuccess}
文選(もんぜん)から南華の編までは、どんなもの?
- 『文選(もんぜん)』:詩文集。530年頃に、それまでの約千年間の、中国の代表的な文学作品を集めたもの。
- 『白氏文集(はくしもんじゅう)』:中国・唐時代の白居易(楽天)(772年から846年)の詩文集。(『徒然草』よりは、『源氏物語』や『枕草子』でのほうが、ちょくちょく出てくる。)
- 『老子』:文字通り、老子(紀元前5世紀ごろ?)の思想をまとめた書物。中学校では習わない可能性が高いが、高校二年で、多少は習うと思う。「大道廃れて、仁義有り」とか「天下に水より柔弱なるはなし」とか。
- 南華の編:『荘子(そうし)』のこと。荘子(紀元前4世紀ごろ)の思想をまとめた書物。曹州(現山東省)の、南華山に隠居して書かれたとされ、『南華真経』とも呼ばれることから。高校二年で、「夢の中で蝶になったけど、夢から覚めたと思ってるこっちのほうが夢かも」という話は出てくるかも。
と、具体的に名が挙がっている4つは、舶来の中国の書物だ。後ろの2つ、『老子』『荘子(そうし)』は、多少なりとも教科書で接する機会がある。
前の2つ、『文選(もんぜん)』『白氏文集(はくしもんじゅう)』については、まず、諸葛亮(孔明)「出師表(すいしのひょう)」、陶潜(淵明)「帰去来辞(ききょらいのじ)」などが『文選(もんぜん)』にも載っている作品だ。そのため、はっきりそれとは意識されないが、それらを読んでいるなら、『文選(もんぜん)』にも触れたと言える。
また、『枕草子』の第299段で「簾(すだれ)を上げて雪を見る」という話があるが、それは『白氏文集(はくしもんじゅう)』に載る白居易の詩を踏まえている。だから、『枕草子』のその話に接していれば、間接的にでも『白氏文集(はくしもんじゅう)』に触れたことになるし、その詩を直接、唐詩の一首として扱っている教科書もある。
こうして見ると、およそ700年前に兼好が読んでいた書物に、今の自分も接しているのだな、と思う。また、思想系として挙げているのが、ここでは『論語』『孟子』などではなく、『老子』『荘子(そうし)』というところにも、主張があると思う。
この国の博士どもの書ける物とは、具体的に何?
日本のものについては、「この国の博士どもの書ける物」という漠然とした表現で、本人が具体名を挙げていない。
江戸時代の学者、林羅山(1583年から1657年)が著した『徒然草』の注釈書、『徒然草野槌』に、候補となる書物が十三点、列挙されている。そのうち、十二点までが漢文で書かれたものだ。ただ、唯一『源順集』という和歌集が挙がっているから、「いにしへの」「この国の博士どもの書ける物」が、100%漢文とは言い切れない。
また、「博士」ということば自体は、「文章博士」のような官職に就いている人だけでなく、広く「博識な人」の意味でも使うようだ。だから、「博士たちが書いたもの」には、公的な漢文以外のものも含まれうる。
それでも、残念ながら「博士ども」に紫式部や清少納言を含めることはできないだろう。はっきりどこかに書いてあるわけではないが、当時の博士に女性は含んでいないだろうから。
そんな具合で、日ごろ「かな文学」にも十分読書の時間を割いていたであろう兼好の実態はともかく、心の友としての「日本の博士ども」が書いた作品は、林羅山が挙げる、以下のような(ほぼ)漢文と考えておくことにする。
- 『懐風藻』:(現存)日本初の漢詩集。751年成立。
- 『文華秀麗集』:勅撰漢詩集。818年成立。
- 『経国集』:勅撰漢詩集。827年成立。
- 『菅家文草』:菅原道真(845年から903年)の漢詩文集。900年成立。
他に挙がっている書物は、適切な説明もし兼ねるので書名のみで。(『源順集』以外は、漢詩集、あるいは漢詩文集。)
- 『本朝文粋』『続本朝文粋』『無題詩』
- 個人の作品を集めたもの:『野相公(やしょうこう)集』小野篁、『善相公(ぜんしょうこう)集』三善清行、『都氏文集(としぶんしゅう)』都良香(みやこのよしか)、『江吏部集(ごうりほうしゅう)』大江匡衡(おおえのまさひら)、『橘在列集(たちばなのありつらしゅう)』
- 唯一の和歌集:『源順集』
つまり、兼好が「日本のものでも昔のものはいい」と言っているのは、おおよそ「日本人が書いた漢文」ということになる。日本人が書いた漢文は、教科書では扱いが少なく、あっても江戸時代以降の人が書いたものが載る程度なので、ここに挙がっている作品は馴染みのないものばかりだ。(現存しないものもあるし。)
具体的なことは違っても、根っこのところでどこか重なる
さて、この段で兼好は、
ってなことを言っている。
「一体、どんなものを読んでそう言っているのか」を調べるのに、随分手間取ってしまったが、まあ、そこが700年という時間の隔たり。
700年後の今では、明かりも読む物も媒体も変わっているが、
電気のついた部屋でひとりになり、会ったことも無い人が書いたものを、パソコン(またはスマホ)で見ていると、心にグッときて癒される。まさに心の友って感じだね。
ってなことはある。
何にグッとくるかは、文字に限らず、絵や音の場合もあるだろうし、会ったことも無い人であれば、昔の人でなく、今の人でもよい。
この段で、兼好が挙げた本について具体的に調べたことで、一見彼との距離が遠くなったようにも思えた。
だが実は、
という状態ではあったのだ。
認知的共感|もらい泣きのような「感情的共感」ではなく、相手の置かれた状況を、冷静に分析した上で起こる共感。(ただ、共感のレベルにまで至らず、単に、わかった気になって終わる可能性もある。悲しいドラマを見て、もらい泣きすることのほうが簡単だが、そうした感情的共感力が地盤にあってこそ、より手間のかかる「認知的共感」が、まさに起こるのだろう。){alertSuccess}
700年の時を越えた「共感」
この際、兼好の読んでいたものすべてが、聞いたことの無い本であっても構わないのだ。むしろそのほうが、それでも共感できることに、驚きあきれるほどの衝撃を覚えるかもしれない。(古語の「あさまし」が、ぴったりな文脈だ。)
具体的な部分が違っても、そこを取り払ってみれば、「会ったことも無い人の作品に、心を動かされるってことはわかるよ」と、状況を推測して、理解した段階には至る。自分の身に置き換えて考えているのだから、700年の時を越えて「会ったことも無い昔の人」(→ ここでは、兼好)と多少とも接点が持てた、というわけだ。
私の場合は、そこからさらに、
『源氏物語』も『枕草子』も熟読していて、自ら和歌も詠む兼好が、「漢文はいいよねぇ」と語っている。
それは、ゲームもマンガもおもしろいが、「やっぱ古典はいいよねぇ」と、ここでは古典のことしか語らない自分と、そう変わらないのでは?
などと思ったりもした。
まさに、「意気投合!」という感じだ。ここまで来ると、感情的のほうも伴って、「共感」にまで至ったんじゃないか。そんなふうに思う。
昔のことも、初めから昔だったわけではない
さて、ここで結論に達したかのようだが、実は先の「認知的共感」という話は、「兼好の読んでた本を調査中」に思いついたこと。この段を取り上げようと思ったとき、最初に私が考えたのは、それとは別のことだった。
蛇足にはなるが、書いておかないと忘れるので、ついでに書いておく。
最初に考えたこととは、
ということだ。
こんなことは、当たり前と言えば当たり前のこと。
だがしかし、2022年の自分から見れば、兼好が読んでいた本が書かれた時代も、兼好自身も「いにしへ」の範疇だ。どうしても、「昔のことだ」と思って見てしまう。
ところが、この段の中で、兼好が「いにしへの」という表現を用いていたことで、
昔の人にも昔がある。昔があるということは、昔と言っているそのときは「今」なのだ。
という当たり前のことが、意識されたわけだ。
漢文ではよくある構図
そう考えて振り返ってみると、実は「昔は⋯⋯」「今は⋯⋯」という対比は、それこそ、漢文を読んでいるとよく出てくる構図だ。
例えば『論語』では、孔子が「いにしへの」政治を理想として、暗に「今は⋯⋯」と言いたげな場面が、ちょくちょく出てくる。政治の腐敗、そして、そこから起こる世の中の乱れを嘆くような話では、鉄板の構図だ。{alertSuccess}
だから、古典の中でそうした表現に出遭ったことが、これまでに無かったわけではない。
だが、「昔はよかった」とその人が言っている、そのときが「今」だったときがあった、という認識には至らなかった。
そこには明らかに時間的なズレがあるのだが、その構図をひとかたまりとして捉え、そのかたまり全体をよくある昔話としてしか、意識していなかったのだ。
三大随筆では、昔の「今だったある時点」に、出遭える確率高し
どうして、長いことそのチャンスはありながら過ぎてきていたものが、この『徒然草』第13段で覚醒したのだろう
と考えてみると、それは『徒然草』が随筆だからではないかと思った。
そう、「三大随筆」などと言って覚えた、あれ。あれの一つがこれじゃないか。
- 『枕草子』1000年ごろ成立。清少納言(生没年未詳。平安時代中期の人。)
- 『方丈記』1212年成立。(鎌倉時代初期)鴨長明(1155年?から1216年)
- 『徒然草』1300年代前半に成立。(鎌倉時代末期から室町時代初期)兼好(1283年?から1352年以降)
今の感覚だと、エッセイ(随筆)よりは日記のほうが、より現場の声が聞こえそうなものに思えるが。
当時の日記というのは、『土佐日記』(男もすなる⋯⋯とか言って、文体を女装して書いてる、あれ。)を考えるとわかるが、何だかえらく作為的なものだ。「日記文学」というように、「日記」と言いながら、初めから世に出すつもりのものだろう。
もっと言えば、
その当時の、同じ「今」を生きている人たちに、読んでもらうつもりで書いている。
だから、(実際に読まれるかどうかはともかく、)他人が読むことのできる場所に公開している、今のブログやSNSの情報と同じようなものなのだ。
一方、上の三大随筆はというと、少なくとも『枕草子』『徒然草』の2つは、初めから世に出すつもりは無かったらしい。
- 『枕草子』は「あとがき」に、うっかり知人(源経房)の目に触れて持ち出されてから広まった、と書いてある。
- 『徒然草』は、成立時期が不明確なことにも表れているように、書かれた直後は、全く話題になっていなかった。それでも、完成して百年が過ぎようかという頃に、書き写した人(正徹)がいたからには、存在を知る人はいたのだろう。そして、その写本が出て以降、広まっていったということだ。
- 『方丈記』については、鴨長明本人の、世に出す気の有無はわからない。だが、この人は清少納言、兼好と違って、他に世に出す気であろう本(『発心集』― 仏教説話集、『無名抄(むみょうしょう)』― 歌論書)を書いている。だから、もし『方丈記』は公開する気が無かったとしても、「何か、他に遺稿はないのか」と、本人が亡くなった後に、世に出てしまった。そんな可能性もあるのかな、と思う。
まあ、真相はわからないが、三大随筆のいずれも、人に読んでもらうことよりも、自分が思ったことを率直に書くことのほうに、重点を置いている作品だと思う。
「三大随筆ですよ」と言って、作品名、作者名、時代なんかを押さえるわけだが、それ以前に、
からもっと踏み込んで、
と、捉えておきたいと思った。
何かを書くとき、書いた時点で「書きたい」と思った気持ちのほとんどは充足している。だから、三代随筆の作者たちも、自分の本音を書き付けることができたと思えたなら、その時点で満足していたはずだ。
だがやはり、書いて残しておくからには、全く人に見せる気が無いとも言えない。
となると、三大随筆は、その書き手たちの立場から想像するに、
同じ今を生きている人にではなく、むしろ後の時代を生きる人に、今ここで生きている自分の胸中を伝えたい
と、そんな思いで書き置かれたのではないか、とも思う。
『徒然草』第13段で、三大随筆の効能を知る
作者の「本音」と言っても、生きている時代が違うから、日々過ごしている生活環境も、そこから起こってくる考えも、当然違ってくる。
だが、その現代とは異なる時間の中で、確かに、三大随筆の筆者たちが生きていた「今」があった。だから、「今」を生きている自分との接点が、どこかに見えるときはある。
つまり、
そんな場になりそうなのが、三大随筆というわけだ。
適当に、読み飛ばせるのがうれしい『徒然草』
では、どれから読もうかといったときに、単純に分量的、構成的に一番手頃なのが『徒然草』になるだろう。
例えば、原文、現代語訳、簡単な解説が載っている「ちくま学芸文庫」で言うと、『方丈記』『徒然草』は、各一冊。だが、『方丈記』は分量が少ないので、『徒然草』の半分のページ数だ。逆に、『枕草子』は分量が多いから、上・下二冊になっている。{alertSuccess}
加えて、先にも述べたように、『徒然草』は「なんのまとまりもなく、雑多な事柄を書き記した書物」だ。基本的に一つ一つの章段は独立しているから、前後のつながりを気にせず、読みたいところだけ読むことができる。また、一つの章段が長いことはあまりなく、ちょっと一節読むのに、手頃な長さの章段がほとんどだ。
と知った今、それが千円程度の投資でできる『徒然草』は、お買い得だ。
もちろん、今の私は、現代を生きているのだから、「700年も前の、世捨て人が考えるようなことに付き合ってられるか!」という気持ちのときもある。幸いなことに今の私は、そんなときにどうしても『徒然草』と関わる必要は無い。
だが、もしそういう気持ちなのに関わらなければならないのだとしても、そのときに何か自分と重なるものを少しでも感じ取ったのだとしたら、認知的共感力の成長度は爆上がりということだ。
だから、つまらないところを飛ばしていたら、何も読まずに終わることがあっても、たまに『徒然草』を開いてみるのはいい。たった二行程度の記述から、これだけ考えることもできたわけだから。
気の向くままに、全編の中から自分でチョイスして読む。そういう関わり方が、『徒然草』には適している。
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BGM:Tomorrow never knows Mr.Children(1994年)No. 3
