ひとり自室で静かに読書する兼好の図
読書する兼好の図|絵本徒然草 祐信画鑑 上(NDLデジタルコレクション)より加工して作成

 『徒然草』は中学校でも習う作品で、序文や猫またの話(第 89 段)などが 2 年生の教科書に載っている。また、高校では 1 年生の教科書に、再び序文といくつかの章段が載っている。

 だから、「何か昔やったよな」という記憶を、多くの人が持っている作品だろう。

 私はというと、かつて塾業界にいた頃には、

  • 教科書や入試問題などで、
  • ある章段だけが抜き出された状態で、
  • 最終的には誰かが作った問題を解く作業付きで、

この『徒然草』と関わっていた。

 そして、そういう環境を離れてから、『徒然草』全編を二度ほど読んだ。(全編を古文で読むのは時間がかかり過ぎるので、訳文で。有名どころの作品だけあって、古文・訳文が載っているものが、手頃な価格の文庫版で買えるのが素晴らしい。)

 全編を読んでみると、まず序文の

ハイになって思いつくことを書き殴るぜ!

的な宣言に、納得がいくようになる。本当に、何のまとまりもない作品だから。

 また、二度読んでみて、

一度目と二度目とでは、自分が「おもしろい」と思うところが随分と違っている

ことに気がついた。

 どこかで、「本を読むことは、自分自身を読むこと」などと聞いた気がする。だから、どんな本でも読み返したときに印象が変わることはある。

 そこへ持ってきて、『徒然草』は、何のまとまりもなく、雑多な事柄を書き記した書物だ。

 だから、自分自身の関心の振れ幅が驚くほどに大きくなった、ということだろう。(もちろん、二度読んでも全く興味が持てない部分もある!)

 そして、三度目の読み返しを始めてまず心に留まったのが、(これまではスルーされていた)今回の第 13 段だ。

No. 3

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まずは原文をさらっと

 ひとりともしびのもとにふみを広げて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなう慰むわざなれ。文は文選もんぜんのあはれなる巻々まきまき、白氏もんじゅう、老子のことば、南華の編、この国の博士どもの書ける物も、いにしへのは、あはれなる事多かり。

『徒然草』第 13 段

 と、これだけの文章だから、別に訳す必要も無いぐらいのものだ。ただ、『文選』やら何やらが何なのかがよくわからないので、その辺を書き留めておく。

ここで「かな文学」は挙げないをのこのプライド

 『徒然草』の中では、『源氏物語』や『枕草子』(いずれも 1000 年ごろの成立)などのいわゆる「かな文学」(= 当時の日本語で書かれたもの)を、作者の兼好(1283? - 1352 以降)が読んでいるとわかる記述が見られる。

 また、この段のすぐ次の第 14 段では和歌について述べられており、『古今和歌集』(905 年)や『新古今和歌集』(1205 年)の名が挙がっている。兼好自身、勅撰和歌集に歌が入集する歌人でもある。

 そうした状況や、『徒然草』中で引用される書物・出来事の割合から考えても、ここで友とする「見ぬ世の人(= 昔の人)」の著作が漢文とは限らない、そういう世界観を『徒然草』は持っている。

だがこの段で、兼好が心の友の筆として書名を挙げているのは、いずれも漢文だ

 次で和歌のことを書くから、ここは漢文でまとめた、と取っておいてもよいところだが。

 それでもやはり、「おもしろいものは、古今東西問わず読みあさるけれども、やはり当節を生きる男児の座右の書は漢文だ!」というプライドが、何となく垣間見える気もする。

漢文(= 当時の中国語で書かれたもの)は、今で言う英語のようなもの。英語ペラペ~ラだったらすごいよねっていうのと似た感じと思えばよいかと。それでも現代の日本では、政府の公式記録が英語で書かれたりはしていないが、当時の公式記録は漢文で書かれていた。つまり、デキる男に漢文の読み書きは必須だった。{alertSuccess}

文選~南華の編とは?

  • 『文選』:詩文集。530 年頃に、それまでの約千年間の、中国の代表的な文学作品を集めたもの。
  • 『白氏文集』:中国・唐時代のはくきょ(楽天)(772 - 846)の詩文集。(『徒然草』よりは、『源氏物語』や『枕草子』での方が、ちょくちょく出てくると思う。)
  • 『老子』:文字通り。老子(紀元前 5 世紀ごろ?)の思想をまとめた書物。中学校では習わない可能性が高いが、高校 2 年で、多少は習うと思う。「大道廃れて、仁義有り」とか「天下水より柔弱なるはし」とか。
  • 南華の編:『荘子』のこと。荘子(紀元前 4 世紀ごろ)の思想をまとめた書物。曹州(現山東省)の南華山に隠居して書かれたとされ、『南華真経』とも呼ばれることから。高校 2 年で、「夢の中で蝶になったけど、夢から覚めたと思ってるこっちの方が夢かも」という話は出てくるかも。

 と、具体的に名が挙がっている 4 つは、舶来の中国の書物だ。後ろの 2 つ、『老子』『荘子』は、多少なりとも教科書で接する機会がある。

 前の 2 つ、『文選』『白氏文集』は、はっきりそれとは意識されないが、諸葛亮(孔明)「出師すいしの表」、陶潜(淵明)「帰去らいの辞」などは『文選』にも載っている。

 また、『枕草子』の第 299 段で「すだれを上げて雪を見る」という話があるが、それは『白氏文集』に載る白居易の詩を踏まえている。だから、『枕草子』のその話に接していれば、間接的にでも『白氏文集』に触れたことになるし、その詩を直接「唐詩」の一首として扱っている教科書もある。

 こうして見ると、およそ 700 年前に兼好が読んでいた書物に、今日の自分も接しているのだな、と思う。また、思想系として挙げているのが、ここでは『論語』『孟子』などではなく、『老子』『荘子』というところにも、主張があると思う。

この国の博士どもの書ける物とは、具体的に何?

 日本のものについては、「この国の博士どもの書ける物」という漠然とした表現で、本人が具体名を挙げていない。

 江戸時代の学者、林羅山(1583 - 1657)が著した『徒然草』の注釈書『徒然草づち』に、候補となる書物が 13 列挙されている。その 13 のうち、12 までが漢文で書かれたものだ。ただ、唯一『みなもとのしたごう集』という和歌集が挙がっているから、「いにしへの」「この国の博士どもの書ける物」が、 100 %漢文とは言い切れない。

 また、「博士」ということば自体は、「もんじょう博士はかせ」のような官職に就いている人だけでなく、広く「博識な人」の意味でも使うようだ。だから、「博士たちが書いたもの」には、公的な漢文以外のものも含まれ得る。

 それでも、残念ながら「博士ども」に紫式部や清少納言を含めることはできないだろう。はっきりどこかに書いてあるわけではないが、当時の博士に女性は含んでいないだろうから。

 そんな具合で、日ごろ「かな文学」にも十分読書の時間を割いていたであろう兼好の実態はともかく、心の友としての「日本の博士ども」が書いた作品は、林羅山が挙げる以下のような(ほぼ)漢文と考えておくことにする。

  • 『懐風藻』:(現存)日本初の漢詩集。751 年成立。
  • 『文華秀麗集』:勅撰漢詩集。818 年成立。
  • 『経国集』:勅撰漢詩集。827 年成立。
  • 『菅家文草』:菅原道真(845 - 903)の漢詩文集。900 年成立。

 他に挙がっている書物は、適切な説明もし兼ねるので書名のみで。(『源順集』以外は、漢詩集、あるいは漢詩文集。)

  • 『本朝文粋もんずい』『続本朝文粋』『無題詩』
  • 個人の作品を集めたもの:『野相公集』(ののたかむら)『善相公集』(三善清行)『都氏とし文集』(みやこのよし)『ごうほう集』(大江おおえの匡衡まさひら)『たちばなの在列ありつら集』
  • 唯一の和歌集:『源順集』

 つまり、兼好が「日本のものでも昔のものはいい」と言っているのは、おおよそ「日本人が書いた漢文」ということになる。日本人が書いた漢文は、教科書ではあまり扱いがなく、あっても江戸時代以降の人が書いたものが載る程度なので、ここに挙がっている作品は馴染みのないものばかりだ。(現存しないものもあるし。)

具体的なことは違っても根っこのところでどこか重なる

 さて、この段で兼好は、

ひとりになって明かりの下で、会ったことも無い昔の人が書いたものを読んでいると、心にグッときて癒される。まさに心の友って感じだね。

ってなことを言っている。

 「一体、どんなものを読んでそう言っているのか」を調べるのに、随分手間取ってしまったが、まあ、そこが 700 年という時間の隔たり。

 700 年後の今では、明かりも読む物も媒体も変わっているが、

電気のついた部屋でひとりになり、会ったことも無い人が書いたものを PC(or スマホ)で見ていると、心にグッときて癒される。まさに心の友って感じだね。

ってなことはある。

 何にグッとくるかは、文字に限らず、絵や音の場合もあるだろうし、会ったことも無い人であれば、昔の人でなくてもよいだろう。

 この段で兼好が挙げた本について具体的に調べたことで、一見彼との距離が遠くなったようにも思えた。

 だが実は、

「何に対して」そういう感情が起こっているのかは違っても、直接会っていない人間から心を動かされるという体験は同じようにしているから、その気持ちは多少ともわかる。

という状態ではあったのだ。

認知的共感|もらい泣きのような「感情的共感」ではなく、相手の置かれた状況を冷静に分析した上で起こる共感。(ただ、共感のレベルにまで至らず、単に「わかった気になって終わる」可能性もある。悲しいドラマを見て「もらい泣き」することの方が簡単だが、そうした感情的共感力が地盤にあってこそ、より手間のかかる「認知的共感」が真に起こるのだろう。){alertSuccess}

700 年の時を越えた「共感」

 この際、兼好の読んでいたものすべてが、聞いたことの無い本であっても構わないのだ。むしろその方が、それでも共感できることに、驚きあきれるほどの(= 古語「あさまし」がぴったりな文脈だ)衝撃を覚えるかもしれない。

 具体的な部分が違っても、そこを取り払ってみれば、「会ったことも無い人の作品に心を動かされるってことはわかるよ」と、状況を推測して理解した段階には至る。自分の身に置き換えて考えているのだから、700 年の時を越えて「会ったことも無い昔の人」(= 兼好)と多少とも接点が持てた、というわけだ。

 私の場合は、そこからさらに、

 『源氏物語』も『枕草子』も熟読していて、自ら和歌も詠む兼好が、「漢文はいいよねぇ。」と語っている。

 それは、ゲームもマンガもおもしろいが、「やっぱ古典はいいよねぇ。」と、ここでは古典のことしか語らない自分と、そう変わらないのでは?

などと思ったりもした。

 まさに \ 意気投合 / という感じだ。ここまで来ると、感情的の方も伴って「共感」にまで至ったんじゃないか。そんなふうに思う。

昔のことも初めから昔だったわけではない

 さて、ここで結論に達したかのようだが、実は先の「認知的共感」という話は、「兼好の読んでた本調査」中に思いついたこと。この段を取り上げようと思ったとき、最初に私が考えたのはそれとは別のことだった。

 蛇足にはなるが、書いておかないと忘れるので、ついでに書いておく。

 最初に考えたこととは、

兼好が「いにしへの」人を心の友として至福の時間を過ごしていた、そのときが「今」だったときがあった

ということだ。

 こんなことは、当たり前と言えば当たり前のこと。

 だがしかし、2022 年の自分から見れば、兼好が読んでいた本が書かれた時代も、兼好自身も「いにしへ」のはんちゅうだ。どうしても、「昔のことだ」と思って見てしまう。

 しかし、兼好がこの段の中で「いにしへの」という表現を用いていたことで、

昔の人にも昔があり、昔があるということは、昔と言っているそのときは「」なのだ。

という当たり前のことが、意識されたわけだ。

漢文ではよくある構図

 そう考えて振り返ってみると、実は「昔は~」「今は~」的な対比は、それこそ漢文を読んでいるとよく出てくる構図なのだ。

例えば『論語』では、孔子が「いにしへの」政治を理想として、暗に「今は⋯⋯」と言いたげな場面が、ちょくちょく出てくる。政治の腐敗、そしてそこから起こる世の中の乱れを嘆くような話では、鉄板の構図だ。{alertSuccess}

 だから、古典の中でそうした表現に出遭ったことが、これまでになかったわけではない。

 だが、「昔はよかった」的なことをその人が言っている、そのときが「今」だったときがあった、という認識には至らなかった。

 そこには明らかに時間的なズレがあるのだが、その構図をひとかたまりとして捉え、そのかたまり全体をよくある昔話としてしか、意識していなかったのだ。

三大随筆では、「今」だった昔のある時点に出遭える確率高し

どうして、長いことそのチャンスはありながら過ぎてきていたものが、この『徒然草』第 13 段で覚醒したのだろう。

と考えてみると、それは『徒然草』が随筆だからではないかと思った。

 そう、「三大随筆」などと言って覚えた、アレ。アレの一つがコレじゃないか。

三大随筆 ★(日本 ~ とも言うようだ。そんなに随筆の名文は他に無いのかと思うが、ネームバリューからするとそうかなというところ。『玉勝たまがつ』(本居もとおり宣長のりなが)『がらうち』(夏目漱石)とかは、グッと知名度が下がる。)
  • 『枕草子』1000 年ごろ成立。/ 清少納言(生没年未詳。平安時代中期の人。)
  • 『方丈記』1212 年成立。(鎌倉時代初期)/ かもの長明(1155? - 1216)
  • 『徒然草』1300年代前半に成立。(鎌倉時代末期~室町時代初期)/ 兼好(1283? - 1352 以降)

 今の感覚だと、エッセイ(= 随筆)よりは日記の方が、より現場の声が聞こえそうなものに思えるが。

 当時の日記というのは、『土佐日記』(男もすなる日記といふものを⋯⋯とか言って、文体を女装して書いてるアレ。)を考えるとわかるが、何だかえらく作為的なものだ。「日記文学」というように、「日記」と言いながら、初めから世に出すつもりのものだろう。

 もっと言えば、

その当時の、同じ「今」を生きている人たちに読まれる

つもりで書いている。

 だから、(実際に読まれるかどうかはともかく、)他人が読むことのできる場所に公開している、今のブログや SNS の情報と同じようなものなのだ。

 一方、上の三大随筆はというと、少なくとも『枕草子』『徒然草』の 2 つは、初めから世に出すつもりはなかったらしい。

  • 『枕草子』は「あとがき」に、うっかり知人(源経房つねふさ)の目に触れて持ち出されてから広まった、と書いてある。
  • 『徒然草』は、成立時期がよくわからないことにも表れているように、書かれた直後は全く話題になっていなかった。それでも、完成後 100 年経とうかどうかという頃に書き写した人(しょうてつ)がいたからには、存在を知る人はいたんだろうが。そして、その写本が出て以降、広まっていったということだ。
  • 『方丈記』については、鴨長明本人の、世に出す気の有無はわからない。だが、この人は清少納言、兼好と違って、他に世に出す気であろう本(『発心集』― 仏教説話集、『無名抄』― 歌論書)を書いている。だから、もし『方丈記』は公開する気が無かったとしても、「何か他に遺稿はないのか」と、本人が亡くなった後に世に出てしまった。そんな可能性もあるのかな、と思う。

 まあ、真相はわからないが、三大随筆のいずれも、人に読んでもらうことよりも、自分が思ったことを率直に書くことの方に重点を置いている作品だと思う。

 「三大随筆ですよ」と言って、作品名・作者名・時代なんかを押さえるわけだが、それ以前に、

随筆 = 個人の体験・意見などを自由に書いたもの

からもっと踏み込んで、

三大随筆 = あまり公開する気がなかったから、その当時を生きていた作者の「本音」に出遭える可能性・大の作品

と捉えておきたいと思った。

 何かを書くとき、書いた時点で「書きたい」と思った気持ちのほとんどは充足している。だから、三代随筆の作者たちも、自分の「本音」を書き付けることができたと思えたなら、その時点で満足していたはずだ。

 だがやはり、書いて残しておくからには、全く人に見せる気がないとも言えない。

 となると、三大随筆は、その書き手たちの立場から想像するに、

同じ今を生きている人にではなくむしろ後の時代を生きる人に、今ここで生きている自分の胸中を伝えたい

と、そんな思いで書き置かれたのではないか、とも思う。

『徒然草』第 13 段で三大随筆の効能を知る

 作者の「本音」と言っても、生きている時代が違うから、日々過ごしている生活環境も、そこから起こってくる考えも、当然違ってくる。

 だが、その今とは異なる時間の中で、確かに三大随筆の筆者たちが生きていた今があった。だから、今生きている自分との接点が、どこかに見えるときはある。

 つまり、

昔の人だが昔ではない不思議な感覚に捉われながら、
限りなく接点のなさそうな、言ってみれば異世界の人が書きすさんだことばの中に
かろうじて接点を見つける

そんな場になりそうなのが、三大随筆というわけだ。

適当に読み飛ばせるのがうれしい『徒然草』

 では、どれから読もうかといったときに、単純に分量的・構成的に一番手頃なのが『徒然草』になるかと。

例えば、原文・現代語訳・簡単な解説が載っている「ちくま学芸文庫」で言うと、『方丈記』『徒然草』は各 1 冊。だが、『方丈記』は分量が少ないので、ページ数は『徒然草』の半分だ。逆に、『枕草子』は分量が多いから、上・下巻の2冊になっている。{alertSuccess}

 加えて、先にも述べたように、『徒然草』は「何のまとまりもなく、雑多な事柄を書き記した書物」だ。基本的に1つ1つの章段は独立しているから、前後のつながりを気にせず、読みたいところだけ読むことができる。また、1つの章段が長いことはあまりなく、ちょっと一節読むのに手頃な長さの章段がほとんどだ。

三大随筆 = 異世界人との接点を探る中で「認知的共感力」が自然と鍛えられる効能を持つもの

と知った今、それが千円程度の投資でできる『徒然草』はお買い得だ。

 もちろん、今の私は現代を生きているのだから、「700 年も前の坊さんが考えるようなことに付き合ってられるか!」という気持ちのときもある。幸いなことに今の私は、そんなときにどうしても『徒然草』と関わる必要は無い。

 だが、仮にそういう気持ちなのに関わらなければならないとしても、そのときに何か自分と重なるものを少しでも感じ取ったのだとしたら、認知的共感力の成長度は爆上がりということだ。

 だから、つまらないところを飛ばしていたら何も読まずに終わるとしても、たまに『徒然草』を開いてみるのはいい。たった 2 行程度の記述から、これだけ考えることもできたわけだから。

 気の向くままに、全編の中から自分でチョイスして読む。そういう関わり方が、『徒然草』には適している。

No. 3